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わが心の初島 [某月某日@九州]

先日、九州の実家(大牟田)に帰省しました。その時、何年ぶりかで有明海を見に行きました。私の子供のころに比べると、干拓が進み海岸線も大きく変わりました。でも久しぶりに見る有明海は、私の心の中にある思い出のままでした。有明海の堤防の上に立って、遠く雲仙の山並みを眺めていると、50年以上昔の自分にタイムスリップします。

今回撮った写真は何の変哲もないものでしたが、自分の心の中のイメージに合わせて画像処理してみました。

これは大牟田川の河口です。この向こうに広がる海が有明海です。遠くに見えるのは佐賀県と長崎県の山並みです。この写真のさらに左側には雲仙普賢岳も見えます。
左側の堤防を3㎞ほど進むと、かって三井三池炭鉱の石炭を世界に向かって積みだした三池港があります。
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私が子供のころの1950年代は三池炭鉱の最盛期でした。石炭の鉱脈を求めて有明海の海底の下の深い地下まで掘り進みました。地下深い炭鉱へ空気を送り込むために、有明海に人工島を建設しました。それが1951年に完成した「初島」です。初島から坑道に向かって立坑を掘り、1954年から送風口として稼働しました。初島の完成は、ほとんどが三池炭鉱と何らかの関係のある大牟田市民にとって大きな喜びでした。小学校で初島の完成を教えて貰った時、私のような子供もたいへん誇りに感じたことを覚えています。「初島」という和菓子までつくられました。この和菓子はいまも作られています。

1970年にはもう一つの人工島三池島も完成しました。しかし、1997年に三池炭鉱が閉山されてからは使い道がなく初島も三池島も放置されています。干潟にある無人島ですから、野鳥に取ってはサンクチュアリーになっているようです。

私が今回撮影した大牟田川の河口と初島、三池島、三池港、そして大牟田駅の位置関係をGoogle Earthのマップ上に示します。
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これは最初の写真の左の堤防を少し進んで、有明海が良く見える場所に出てきて撮影したものです。中心に小さく見えるのが初島です。この後に示す写真は全てこの場所から撮影しています。
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レンズを望遠にして撮影した初島です。直径120mの円形の島です。いまではだいぶ樹木が茂っています。ここに上陸したら沢山の野鳥に出会えると思います。
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大牟田川の河口の灯台です。その向こうには海苔の養殖のための竹竿が立てられています。
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冬になるとここに海苔養殖の筏が沢山並びます。
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遠く佐賀・長崎の山並みを撮影したものです。一番高いところが長崎県の多良岳だと思います。
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これが三池島です。直径92mの円形の島です。島全体に高い塀があって中の様子は見えませんが、現在この島は絶滅危惧種のベニアジサシやコアジサシの繁殖地になっているそうです。
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18歳まで私が過ごした大牟田はたいへん活気のある街でした。いまでは老舗デパートも更地になり、その周辺の商店街がシャッター通りになっています。往時には多くの人々が往き来していた街並みがガランとしているのを見るととても寂しいです。ほとんどの地方都市がそうであるように、大牟田もいろいろな活性化を模索しています。
生まれ故郷というのは、自分が何歳になろうと昔のイメージのままです。今回、初島などがある有明海を久しぶりに見て、再び大牟田が元気になって欲しいと思う気持ちがますます強くなりました。

おおむた港まつり [某月某日@九州]

私は生来のお祭り好きです。子供のころは、祭り囃子の鐘太鼓が聞こえてくると、ウキウキとして家から飛び出して行ったものでした。といっても、私が育った大牟田では山車を引きまわす祭りは、年に一度の大蛇山祭りだけでした。6月末くらいから、お囃子の練習が始まり、風に乗って「ジャンジャンジャン、ジャジャリコ、ジャン、・・・・」というリズムが聞こえてくると浮足立ったものでした。
しかし、私が18歳で上京して以来、50年近く大蛇山祭りを見ていませんでした。今回実家に帰省した際ちょうど「おおむた港まつり」が開かれていました。大蛇山の山車が出るというので見に行きました。本来の「大蛇山祭り」は7月末に行われ、その時は10輌以上の山車が出るようです。今回の港祭りでは山車は1輌だけでしたが50年前の子供のころの思い出を呼び覚ますには十分でした。

これが大蛇山の山車です。大蛇山というのは、三池地方に伝わる水神信仰がもとになっているようです。蛇や龍を水の神の象徴とする水神信仰、祭神を悪病よけや農業の神とする「祇園」、農業に関係するこれらの信仰が絡み合い、祇園のお祭りに大蛇が取り入れられ「大蛇山」ができたと考えられます(大牟田「大蛇山」まつりホームページより)。
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これが大蛇山の顔のアップです。子供のころはこの大蛇の顔つきが何とも恐ろしげに見えたものです。それと山車全体がもっと大きかったような記憶があります。
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大蛇の髭や牙が誇張され、いかにもおどろおどろしく作られています。
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時々口から煙を吐きます。夜になると花火の火花をまき散らしながら行進します。
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口から煙を吐いている様子を動画で示します。


これは大蛇の目です。祭りの翌日には、この目のほかに、耳や牙などを神輿に乗せて売り歩きます。飲食店などでは、縁起物としてこれらが神棚に飾られていました。
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これは「咬ませ」といって、子供を大蛇の口の中に入れて無事な成長を祈るものです。子供からすれば、恐怖以外の何物でもありません。ほとんどの子供が泣き出してしまいますが、稀にはこのように咬まされるのを楽しんでいる子もいます。
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いよいよ大蛇山の運行です。「よいさ!よいやさ!」の掛け声とともに、練り歩いて行きます。昔に比べると、「ジャンジャンジャン、・・・」の音程が低くなったように感じましたが、単に私の耳が悪くなり、高音域が聞こえなくなっているせいかもしれません。

山車の屋根の上には若い衆が三人ほど乗って指揮をしたり、発煙筒をたいたりしています。
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いつもは祭囃子の鐘太鼓は若い衆が叩いていますが、このように子供囃子になることもあります。
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これは50年前にはなかったことですが、女性が10数名山車の後から行進していました。
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大蛇山の山車の運行の様子を動画で示します。


子供のころの思い出は、いくつになっても心の奥底に仕舞われています。それが現実と付き合わされるとき、わずかな違いも大きな違いのように感じますが、ほんとうは些細なことかもしれません。

西鉄電車に乗って [某月某日@九州]

最近では、母が年老いたために二月に一度くらいの頻度で大牟田に帰省しています。今回は祖母の25回忌の法事もあって帰省しました。帰省の時のルートはいつも同じで、福岡空港から地下鉄で天神に出て、西鉄電車で大牟田へ向かいます。

今回も西鉄電車に乗りました。西鉄電車に限らず、電車に乗る時は好んで先頭車両に乗ります。一番前で景色の移り変わるのを見るのが好きです。これは単に子供っぽさからいまだ抜け切れないでいるだけなのですが・・・。
今回も天神(福岡駅)で大牟田行き特急電車の先頭車両に乗りました。しかも、一番前の運転席のすぐ後ろ側の席です。この席に座れることはめったにないことです。内心では心ウキウキ、でもそれを隣に座ったオバサンに気取られまいとして、あえて苦虫をかみつぶしたような顔をして座っていました。
しばらくは神妙な顔をして前方を見つめていましたが、とうとう我慢しきれなくなって、荷物棚の上のリュックからカメラを取り出しました。それからは隣のオバサンがどう思おうと関係なく、カメラで動画を撮りまくりました。その一部をご紹介します。興味のない方には退屈な映像かもしれません。ご容赦下さい。

これは二日市を過ぎて久留米に向かう途中です。前方から上りの特急電車が来ました。私の乗っている車両と同型です。かなりスピードが出ていますので、自分の座席でカメラを両手で持ち上げて撮る姿勢では画面がブレブレです。


しばらく行くと、筑後川が近づいてきました。筑後川は筑紫次郎ともよばれており、利根川の坂東太郎、吉野川の四国三郎とともに日本の三大河川に数えられています。阿蘇に水源があり有明海に流れ込むきれいな川です。
その筑後川を渡るとすぐに久留米です。久留米は私が高校三年間を通った懐かしい街です。もうその日から数えると50年の歳月が経ってしまいました。
これは電車の左手に筑後川が見えて来て、久留米駅に着くまでの映像です。社内アナウンスも併せてお楽しみ下さい。


久留米を過ぎると、田舎の景色になります。線路も複線から単線に変わります。久留米から、柳川、大牟田へと向かいますが、線路は複線になったり単線になったりします。
この映像は、久留米を過ぎてしばらく走った後、複線から単線に変わるところを記録しました。


柳川に近づきました。柳川は北原白秋の故郷で堀割りが縦横に走る水郷の町です。ここで食べる鰻のせいろ蒸しは抜群です。


いよいよ終点の大牟田駅です。実際に線路が終わりになります。大牟田は私が生まれ育ったところです。18歳までここで過ごしました。


西鉄電車は私の小さいころから慣れ親しんだ路線です。とくに高校時代は大牟田と久留米の間を三年間お世話になりました。西鉄電車に乗ると故郷へ帰ったことを実感します。

ステンドグラス [某月某日@九州]

先週、九州の実家に帰省した時、小学校同窓生のYaさんが同じく同窓生のSiさんと私を、ステンドグラス工房ルーチェに案内してくれました。彼女はここでステンドグラスのランプシェードなどの作り方を学んでいます。
ルーチェのオーナーであり、ステンドグラス教室の先生でもあるFuさんに作品をいろいろ見せていただきました。以前私のブログで教会のステンドグラスの美しさについて書きましたが、ルーチェで見たステンドグラスはまた違った美しさがあり、どれも見とれてしまう作品ばかりでした。写真を撮らせて頂きました。私のブログに写真を載せることも承諾頂きました。

ステンドグラスの作製は、色ガラスを型紙に合わせて切り取り、それを並べて半田で繋ぎ合わせる根気のいる作業です。
これは月下美人をモチーフにしたパネルです。窓のパネルとしてはめ込んであります。同じ青でも微妙に色の違うガラスの配置が絶妙です。
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展示室には大小さまざまなランプシェードがありどれも素晴らしいものです。
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八重椿の小ランプもすてきです。
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これは山葡萄のデザインのランプです。葉っぱの色が赤い部分から緑の部分まで絶妙な変化をしています。
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これはバラの花をデザインしたランプです。花弁の赤色も微妙に変化し、花が活き活きとして見えます。
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ガラス玉を溶かしては固め、また溶かして固めて作った塊(ナゲットというそうです)を組み合わせて作ったランプシェードです。ナゲットの一つひとつが違った色合いでとても落ち着いた感じのランプに仕上がっています。
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オーナーのFuさんのお話では、素材のガラス板はアメリカから輸入しているそうです。日本のガラスでは、上の作品のような微妙な色の変化を出すのが難しいそうです。
インドアプレーンでも、動力用のゴムや、翼に貼るフィルム、バルサ材などは米国から輸入します。趣味の世界では、本当に優れた素材は欧米からしか入手できない場合が多いようです。日本では購入者が少ない分野はまともに相手にされませんが、欧米では買う人がいる限り優れたものを開発してくれる人がいます。日本とは懐の深さの違いを実感します。
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