チベットの思い出-2 [某月某日@中国]

引き続き、ポタラ宮の話です。
ポタラ宮の裏手に回ると、このようなマニ車がたくさんありました。一回廻すとお経一巻あげたことと同じご利益があると言われています。私もマニ車をぐるぐる回しながら歩きました。
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これはポタラ宮の裏側の道です。こちらから見ても、ポタラ宮は要塞という感じがします。
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次にノルブリンカを訪れました。チベット語で宝石の園という意味だそうです。ここは、ダライ・ラマ14世が夏の時期だけ執務を行った避暑地です。ダライ・ラマが使っていた執務室や謁見室、それに仏間などがあります。執務室にはイギリスから贈られたラジオやレコードプレイヤーが当時のままに置かれており、時の流れを感じました。
ダライ・ラマ14世は、1959年のチベット動乱の際、中国の人民解放軍の追跡を逃れるために密かにこの離宮を脱出し、インドへ亡命したそうです。それから50年以上も歳月が流れ、いまだにこの地に戻れない14世の望郷の想いが想像できます。
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次に行ったのが、大昭寺(ジョカン寺)です。ここはチベット人なら一生に一度はぜひ訪れたいと思う寺だそうです。自分の体を大地に投げ出して祈る“五体投地” をしながら寺巡りをしている者もいます。多くの巡礼者はみすぼらしい着物を着ていますが、みな清貧であり信心深い人々です。多くの人は1角札あるいは2角札(1角=0.1元(約1.3円))を沢山手に持ち、仏像があるたびにお賽銭として投げます。
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屋上には巨大な鳳凰の像が飾られていました。
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屋根の別の隅には大きなマニ車が飾られていました。その向こうにポタラ宮が見えます。
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屋上から大昭寺の前の広場をみると、映画の一シーンのような光景が広がっていました。
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多くの巡礼者が賽銭を置いていきますので、大昭寺に限らず、お寺というお寺の仏像の近くはお札の山です。それを僧侶が時々集めに来ます。その横で物乞いが群集に手を合わせています。手を伸ばせば取れるところに賽銭が飛んでくることがあっても、決して賽銭に手をつけることはしません。貧しいけれども清く美しい国、それがチベットの印象です。

(続く)
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六日のアヤメ

世界遺産になっている多くの建造物は、王家の宮殿や強力な支配者の城塞などの遺構があり、その他に宗教的な寺院や寺等がありますが、チベットの辺境な地域にこのような立派な宮殿・寺院が残っているのに感動します。それとともに宗教の底知れぬ力は、はかり知れませんね。地域によって生きることは信仰すると同じなのではと思えることもあります。それなのに今最高の指導者のダライ・ラマが追放されて、人々にとってこの上ない悲しみではないでしょうか。


by 六日のアヤメ (2010-10-05 13:39) 

GGI

kobuさん、nice!ありがとうございました。
六日のアヤメさん、コメントありがとうございます。日本では多くの人が、宗教と関係するのは、初詣と冠婚葬祭くらいですが、チベットでは宗教が生活の一部になっていると思います。信仰に支えられて一生懸命生きているように思えます。今の日本人が忘れてしまった感覚だと思います。
by GGI (2010-10-05 21:07) 

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