チベットの思い出-3 [某月某日@中国]

ラサを離れて日喀則(シガツェ)へ向かいました。シガツェはチベット第二の都市で、ラサから西へ約300km離れています。途中、いくつもの山を越えて行きました。一歩踏み外せば断崖の下の流れまで転げ落ちそうな怖い道を、くねくねと曲がりながら車は進みました。
途中、寧金崗桑峯(海抜7191m)の雪を見ながら車は進みます。
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山間をきれいな川が流れています。
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長い時間バスに揺られた体を休めるため、この川のそばの草原で休息しました。
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シガツェに着きました。ここにはチベット仏教ゲルク派の二大活仏の一人である班禅ラマ(パンチェン・ラマ)の本拠地扎什倫布寺(タルシンポ寺)があります。
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タシルンポ寺には歴代のパンチェン・ラマの霊塔が配置されています。ポタラ宮にも劣らぬ荘厳さです。世界最大の仏像もありました。奈良の大仏と同じ位に見えますが、それより大きいそうです。

中央の高い建物はパンチェン・ラマ4世の霊廟です。
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敷地内には僧侶の宿坊があります。
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帰りにチベット人の家庭を訪問しました。
チベットのお酒を振舞って貰って歓待されました。子供たちと一緒に記念撮影です。この子供たちも今では成人の年齢になっていると思います。
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若者は外に働きに出ており、年寄りが孫の面倒をみる、日本も昔そうだったなあというような原風景がありました。
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この旅行で一つハプニングがありました。それは一緒に行ったMuさんがチベットへ入って2日目から4日間病院に入院したことです。高山病がひどくなった肺水腫でした。診断した医師の話ではもう一日病院に来るのが遅れていたら、脳水腫になって助からなかったかも知れないということでした。Muさんは私より2歳年上でしたが、高山病は一般に年齢が高くなるほど重篤になるそうです。
驚いたのは病院施設の充実です。ドイツが資金援助して作った病院だそうですが、24時間看護で付き添いも不要です。入院費用が相当高いのではないかと皆でお金を出し合う相談をしておりましたが、意外にもMuさんの手持ちのお金で十分間に合いました。
帰りの飛行機にはMuさんも一緒に乗ることができましたが、Muさん曰く、「俺はいったい何をしにチベットへ行ったのかなあ」。

(チベットの思い出、終わり)
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六日のアヤメ

チベットシリーズ楽しく拝見しました。同行の方が高山病になられご心配だったことと思いますが、病院へ行かれたのはよい判断でしたね。こちらの宮殿もチベット仏教で、宗派が違うのですか?飛行機を降りられて空気が薄いので初めは大変だったようですが、少しずつ順応されたのですか?私は2000メートル以上の高所に登ったことがないので体験したことがありません。最後に民家を訪問され歓待を受けられたようで、これは計画訪問ですか?言葉は中国語?
by 六日のアヤメ (2010-10-06 22:50) 

GGI

kobuさん、nice!ありがとうございました。
六日のアヤメさん、コメントありがとうございました。チベット仏教にはいろいろな派があるようですが、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは同じゲルク派だそうです。
ラサ空港に着いたらすぐ酸素を吸えばよかったのだと思います。卓上コンロ用のボンベほどの大きさの酸素ボンベを売っています。徐々に体を慣らしていけばよいのですが、一度体がおかしくなると、一週間くらい直りません。私は最後までおかしいままでした。入院するほどではありませんでしたが。
チベット人の民家にはガイドが案内してくれました。前もって話しがついていたのだと思います。中国語の標準語はテレビが普及していますので、チベットでも通じます。
by GGI (2010-10-07 13:02) 

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