万里の長城の端はどうなっているの?(続き) [某月某日@中国]

前回のブログ、「万里の長城の端はどうなっているの?」を載せましたところ、「どうやって西の端まで行くの?」というご質問を受けましたので、先のブログの続きを書きます。

敦煌へ向かう飛行機はこのような小さな飛行機です。ブリティッシュエアロスペース社製のBAe146型機です。小さい割にはジェットエンジンが4基もついています。主翼が胴体の上についていますので、スピードは出ませんが、非常に揺れが少なく安定しています。
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敦煌市内の目抜き通りに立っている反弾琵琶の像です。これは莫高窟の壁画にある像を立体化したものだそうです。敦煌のシンボルになっています。
反弾琵琶.jpg

敦煌市内から万里の長城の最西端までは100km足らずです。その日は、下の写真のようなワゴン車をチャーターしました。運転手と日本語のしゃべれるガイド付です。乗客は友人夫婦と私ども夫婦の4名だけでした。
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敦煌から長城の最西端へ続く道は、このような砂漠の中の一本道でした。砂漠の中にこれだけ立派な道路が続いていますが、これは長城の最西端に行くために作られたものではなく、その先の軍事基地や西域まで行くためのものです。
Dscf2978.jpg

窓からみる景色は砂漠の中に低い山が連なっていました。
Mar22_03.JPG

ここが玉門関です。道路標識に玉門関管理所と書かれており、その向こうに見えるのが前回のブログでも紹介した玉門関です。
Dscf2990.jpg

玉門関に近づくと、石造りの頑丈な構造になっています。このようなところで関所業務が行われていたというのは想像しづらいことです。
Feb23_98.JPG

ここからほど近いところに長城の最西端はありました。

敦煌の莫高窟と鳴沙山については近いうちにブログで紹介します。
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六日のアヤメ

早速質問にお答え頂きありがとうございます。テレビでシルクロード放映にともない、また、「スーホの白い馬」の絵本が教科書に載ったこともありこの地域に旅行するのがブームになっていました。私もいつか訪れてみたいと思いながら、機会を逸してしまいました。同じ職種の方達は外国旅行と言えばモンゴルしか行かないグループもあり毎年、行っていました。成田でなく名古屋の空港から、特殊のツアーだったのかも知れませんね。とうとう馬頭琴を現地で買った人もいました。政情不安定な時期は中国側からとか・インドかパキスタン側から入っていたように思います。   自動車道路は西域まで通じているのですね。玉門関という関所は聞いたような覚えがあります。中国は広大で又色々な国と隣接していますから軍事用の基地が至る所にあるのでしょうね。一時は地下で核実験もしていました。話がそれてしまいごめんなさい。いつものことですが・・・・
by 六日のアヤメ (2010-08-21 10:28) 

GGI

kobuさん、nice!ありがとうございます。
六日のアヤメさん、コメントありがとうございます。私も予てよりシルクロードに憧れていました。中国の西ではイスラム文化が強くなり、中国東部の沿海都市とはだいぶ雰囲気が違いますね。
西域の哈蜜(ハミ)地方で取れるハミウリという瓜が最高に美味しいです。大きさはラグビーボールくらいで、中身は薄いオレンジ色のシャキシャキした歯ごたえの瓜です。
by GGI (2010-08-21 13:57) 

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