カイツブリの雛のその後 [寺家(じけ)]

以前のブログ「カイツブリの雛の誕生」では、7月10日から16日にかけて5羽の雛が生まれ、5羽目はその日のうちに行方不明となり4羽が育っていることを述べました。それから約1ヶ月過ぎました。その後の雛の様子をお知らせします。

4羽になってから兄弟姉妹仲良く育ちました。これは7月26日の写真です。母親の寅子が甲斐甲斐しく世話をして4羽ともずいぶん大きくなりました。それでも最初に生まれた2羽と後で生まれた2羽では少し大きさに差がつきました。
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これは8月2日の写真です。母親が取って来た餌を貰おうと4羽が必死に追い掛け回しています。
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1羽の雛が餌にありつきましたが、これはちょっと大きすぎます。なかなか食べられません。
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こうしてカイツブリ一家には平和な時間が流れていました。でも悲劇が起きました。8月5日の朝、大池に行ってみると雛が3羽しかいないのです。小さい方の1羽が見当たりません。4日の夕方には4羽いましたので、その夜か次の日の朝早くに襲われたものと思われます。他の人と話をしても目撃者はいませんでしたので、何が雛を襲ったのか分かりません。ただ、その数日前から大池の奥の木に猛禽類のツミが止まっていたという話があり、「ツミが襲ったのだろう」という人もいます。「いや、ヘビが飲み込んだのだろう」と言う人もいますが、憶測話に留まっています。

これは、寅子と3羽の雛の様子です。
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その後も母親の寅子は一生懸命に雛の面倒を見ていましたが、それに対し、父親(仮に寅夫としておきましょう)は1羽離れて遊んでばかりいました。そんな寅夫の態度に腹を立てたのでしょうか、8月10日の朝から寅子はいなくなってしまいました。カイツブリの子育ては、ある程度雛が大きくなると、片親は巣から出て行き1羽の親が育てますが、通常は父親が去って母親が育てるようです。でも今回は母親が出て行きました。人間社会にもありそうな話です。

寅子が去った後、寅夫が無事に子育てできるのか心配していました。でもそれは杞憂でした。寅夫は立派なイクメンに変身したのです。小さな雛には餌を与え、大きな雛は追い回して自分で餌を取るように教育しています。ひとまず安心して見ていられます。

ここで寅子と寅夫の見分け方について述べておきます。カイツブリはオスとメスが同じ姿ですので、簡単には見分けられません。そこで個体ごとの違いを認識して寅子と寅夫を識別していました。右の横顔の嘴のところの白い模様がわずかに違うのです。これが寅子の横顔です。楕円形の白い模様の一部が上に出っ張っています。
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こちらが寅夫の右の横顔です。白い模様は楕円形のままです。この嘴の模様を見て寅夫と寅子を識別します。
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ところで、カイツブリの雛を見ていて一つの疑問が湧きました。それは親と雛とで目の構造が違っていることです。
これは8月10日の寅夫と雛の顔の部分です。寅夫の瞳は黒目と白目がはっきりしていますが、雛は黒目だけです。しかもその黒目は親のものより大きいです。これがどのようにして白黒目になるのか不思議でした。
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これは8月14日の雛の写真です。瞳を見てください。白目が出来ています。今まで黒目と思っていた目の中心部だけが黒目として残り、周りの黒い部分が白くなったのです。やっと親の目と同じ構造になりました。
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まだ翼は十分に伸びていませんので飛べませんが、手を上げて飛ぶ練習をしています。
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最近は3羽の雛はそれぞれ勝手に行動していますので、3羽揃っているのを撮るのは難しくなってきました。これは8月19日の写真です。もう大きさは親鳥とそれほど差がなくなりました。
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まだこれからもトラブルがあるかもしれませんが、3羽の雛はかなり大きくなりました。巣立ちの日も遠くはないでしょう。無事に3羽飛び立って欲しいと願っています。

命輝く季節 [写真]

夏はいろいろな命が誕生し、植物も綺麗な花を咲かせます。そんな動植物の命の輝きを、以前のブログの写真をもとに、デジブックのアルバムに纏めました。

ジャコウアゲハの羽化を中心にその一生をアルバムにしました。羽化する瞬間はほんの1分ほどです。そのタイミングに遭遇できたことは非常に幸運でした。アルバムのタイトルは「蝶の輪廻」、サブタイトルは「ジャコウアゲハの羽化の記録」です。


寺家のカイツブリのカップルは苦労の末に雛を誕生させました。タイトルは「カイツブリ物語」、サブタイトルは「寺家の大池のカイツブリの雛の誕生記録」です。


寺家を歩くといろいろな動植物に出会います。最近出会った動植物の写真を集めました。タイトルは「生きとし生けるもの」、サブタイトルは「寺家とその周辺で最近出会った動植物」です。


最後は、お祭りに熱狂する若い衆の命の輝きです。実家のある大牟田で見た大蛇山祭りをアルバムにしました。タイトルは「おおむた大蛇山祭り」、サブタイトルは「吠える龍、火を吐く龍、火にまみれる躘」です。


以上、お楽しみ頂けたら嬉しいです。

おおむた大蛇山祭り [祭り]

昨年のブログで「おおむた港まつり」の大蛇山の山車を紹介しました。その時は大蛇山の山車は1基だけでしたが、その1週間後に行われる「大蛇山祭り」では10基以上の山車が出ます。今年は、「大蛇山祭り」に合わせて帰省しました。

大蛇山というのは、三池地方に伝わる水神信仰がもとになっているようです。蛇や龍を水の神の象徴とする水神信仰、祭神を悪病よけや農業の神とする「祇園」、農業に関係するこれらの信仰が絡み合い、祇園のお祭りに大蛇が取り入れられ「大蛇山」ができたと考えられます(大牟田「大蛇山」まつりホームページより)。

今年の大蛇山祭りは7月27日、28日に行われました。これは実家に近い弥剣神社の大蛇山の山車です。
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これは「咬ませ」といって、子供を大蛇の口の中に入れて健やかな成長を祈るものです。子供からすれば、恐怖以外の何物でもありません。ほとんどの子供が泣き出してしまいます。この子は小さすぎて恐ろしさが分かっていないようです。
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これは私が実家にいたころ(ほぼ50年前)にはなかったことですが、十数名の若い女性がお祭りに彩りを添えています。
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大蛇山のTシャツです。これは12年前のものです。おそらく毎年このTシャツを着て見物に来ているのでしょう。
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これは大蛇の目です。祭りの翌日には、この目のほかに、耳や牙などを神輿に乗せて売り歩きます。飲食店などでは、縁起物としてこれらが神棚などに飾られます。
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牙も翌日売り出されます。
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大蛇山の運行です。「よいさ!よいやさ!」の掛け声とともに、練り歩いて行きます。夕暮れになると、大蛇山の口から火を吹き出します。
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最近ではカラフルな大蛇山が作られており、お祭りもだいぶ様変わりして来ています。50年前の大蛇山は、最初の写真に示した緑色か黒い色しかありませんでした。これは青い大蛇山です。
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これは赤い大蛇山です。昔の大蛇山とはだいぶ印象が違います。
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向こうからは白い大蛇山がやってきました。
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山車の上では4、5名の若い衆が乗って指揮をしたり、この後の競演会でのパフォーマンスでは花火を振りまいたりします。
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白い大蛇山は青白いLEDでイルミネーションされています。今時の大蛇山という感じです。
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夕方になると、14基の大蛇山の山車による競演会が開催されました。それぞれの山車が花火を振りまきながらパフォーマンスを競います。
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激しい花火の振りまきです。周りは煙に包まれてしまいました。手前には次の出番の大蛇山が控えています。
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だんだん花火もエスカレートします。山車の上の若い衆はもう陶酔状態です。
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ここでパフォーマンスを動画でご覧下さい。赤い大蛇山です。


これは昔ながらの色の大蛇山のパフォーマンスです。


ほぼ50年ぶりに見る大蛇山の競演は以前の印象とは全く異なっていました。私の子供の頃の大蛇山は、“ジャンジャンジャン、ジャジャリコ、ジャン”という鐘・太鼓・笛のお囃子の音が主役だったように思います。遠くからでも情緒に浸ることができました。でも今の大蛇山は見せるためのものです。パフォーマンスが主役です。観客も以前とは比較にならないほど沢山集まっていました。外人観光客も大勢です。三池炭鉱が閉山されて以来、大牟田市は衰退の一途を辿っていましたが、大蛇山祭りがこれだけ盛大に行われるのを見ると、まだまだ復活の可能性はあるという希望を持ちました。

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