平遙の思い出 [某月某日@中国]

平遙(ピンヤオ)は、世界遺産にも登録されている城壁都市です。明の時代、洪武3年(1370年)に作られました。周囲を6.2kmの城壁に囲まれています。北京の南西約500kmのところにあります。
私が中国北京に駐在中の1998年10月にこの平遙を訪れる機会がありました。
私と同じ駐在員のKuさんとOuさんという女性の三人で平遥へ行く相談がまとまりました。Ouさんは私の住んでいたマンションの管理部に勤務し、中国在住10年以上で中国語に不自由しません。中国語をしゃべれない者が列車で旅行するのは難しいですが、こういう人が一緒だと心強いものです。金曜日の夜、北京西駅から夜行列車に乗りました。中国で初めて乗った列車、それも寝台車です。“世界の車窓から”にも登場したあの緑色の寝台列車です。コンパートメントの中は2段ベッドが二組向かい合わせにあり、4人部屋。最初は我々3人のほかにもう一人の中国人女性がいましたが、我々の日本語がうるさかったと見えて、車掌に頼んで部屋を替えてもらいました。気楽な3人旅となりました。

朝6時ごろ平遥の街に着きました。高さ10mくらいの城壁に街全体がぐるりと取囲まれています。下の写真が城壁の上です。この城壁を一周すると街全体が見渡せます。
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城壁の上から見た平遙の街並です。この城壁の中には、数百年間の歴史がそのまま缶詰になって残っているようです。
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古い町並みもそのままです。
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遠くには、この街で最も高い建物、市楼、が見えています。
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これが市楼です。
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城壁内と外界との出入り口は、城壁にあけられた東西南北4ヶ所の門だけです。この門を閉じれば、空飛ぶ鳥しか城壁内に出入りできません。レンタル自転車を借りて、3人で街の中を走り回りました。小さな街並なので隅々まで回れます。見張りやぐら、お寺、商店、など昔のままです。清の時代に銀行業務をやっていた店など、歴史的なものがきちんと保存されています。歩いている人々の服装が昔のままなら、まるで明か清の時代へタイムスリップした感じです。土産物屋もありますが、とても観光地とは思えないほど商売気がありません。どれも皆安いし、売り子も観光客ずれしておらず、たいへん感じのよい人たちばかりでした。
これが街で一番の目抜き通りです。
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Ouさんの案内で一軒の駄菓子屋に入りました。ここは平遥で一番の名士の家です。当主の本職は漢方医で、家業は造り酒屋、平遥一の書道家でもあります。Ouさんは以前にもここを訪問しており、顔なじみです。以前のブログ「北京ノスタルジア」でも紹介した、四合院作りの中庭に案内されました。これがその中庭です。棗(なつめ)の木の下で作業しているのが、当家のご主人です。
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ここで出来立ての黄酒を目の前で舟口搾りにしてグラスに受けて飲みました。つまみは、表で売っている駄菓子です。この組み合わせが意外に良く合います。昔のままの四合院作りの中庭で棗の木を眺めながら黄酒を飲んでいると、陶淵明、李白、杜甫といった昔の詩人の気持ちが少し分かるような、幸せな気分になります。
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六日のアヤメ

最近どこかで見たような街並・3番目の映像がテレビ「世界遺産」で紹介されたのを思い出しました。城壁内が数百年そのままの形で維持され、生活していることに驚きです。広大な中国ならではですね。日本では「通りや路地の一角」が保存されてはいますけど・・・・地酒に合う中国の駄菓子とはどんな物でどんな味がするのですか?

by 六日のアヤメ (2010-12-15 13:37) 

GGI

たくさんのnice!ありがとうございます。
六日のアヤメさんコメントありがとうございます。中国の駄菓子は、花林糖やお煎餅のようなものです。甘いものでもお酒とけっこう合うものです。

by GGI (2010-12-15 22:47) 

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